ようこそ


ちょっと不思議な名前?と感じられるかもしれませんが、最近、創立70周年を迎えた伝統的なキリスト教(プロテスタント)の教団(教会の集まり)です。
「イムマヌエル」とは、インマヌエル(Immanuel)の昔の表記で「神はわれらとともにおられる」の意味です。
「綜合伝道団」とあるのは、宣教のみならず、医療、教育、農耕を含む総合的な伝道を目指して発足したことによりつけられました。日本全国に113の教会があります。「Immanuel General Mission」「IGM」と表記されることもあります。

那覇教会シャローム通信(No24)

那覇教会は本日まで教会での礼拝をお休みとなりますが、来週23日から再開の予定です。 新型コロナの感染状況は、残念ながら再び拡大傾向にありますが、集まれる方々だけでも実施して行きたいと思います。オンラインも並行して配信しますので、体調不良や発熱のある方は無理をされず、ご自宅にて礼拝をお守りください。

 報告・連絡

①から④まで省略。詳しくは配布のシャローム通信をごらんください。

⑤.50周年記念誌作成のため、証しの提出を5月いっぱいまでによろしくお願い致します。400字を目安に短くて も構いませんし、長くても構いません。今年中の発行のためには、皆さんのご協力が不可欠ですので、よろしく お願い致します。(信仰履歴者は後からでもかまいません。)

2021 5 2オンライン礼拝  主は心の渇きを癒し休息をお与えになる羊飼い

2021/5/2   説教メモ   詩篇23篇   連続講解説教   「主は私の羊飼い」②

今朝は、特に2節のみことばに心を留めながら三つのことを見ていきます。

「   主は私を緑の牧場に伏させ  いこいのみぎわに伴われます。」2節

①主は私に伴ってくださる羊飼い 羊飼いは杖と鞭をもって、弱くて迷いやすい羊から離れることなく、羊に伴っていました。 ここて使われている「伴う」という言葉は、原文では、「寄り添いながら、優しく導く」という意味があるそうです。決して強制的な、急かすような導きではありません。

まさに真の羊飼いであるイエス様は、いつも私たちに寄り添って、愛をもって優しく導いてくださるお方です。

私たちは日々の歩みの中で、つい、あれやこれやと荷物を抱えてしまい、悩んだり思い煩ったりします。また 様々な困難に直面し、人生の修羅場に直面することもあります。 けれども感謝なことに、どのような困難な問題に直面しても、私たちが押しつぶされることがないようにイエス様は、いつも寄り添ってくださり、優しく導いていてくださるお方である事を忘れてはなりません。

②主は心の飢え渇きを癒すために伴ってくださる羊飼い

「主は私を緑の牧場に伏させ  いこいのみぎわに伴われます。」 羊飼いは、羊を外敵から守りながら、羊に寄り添って、牧草に導き、餌を与えます。そして川のほとりに導いて水を

やります。  羊は、お腹も満たされて、牧草に伏せるそうです。

うちで飼っている猫たちも家の中で、おなかを丸出しにして仰向けに寝ることがあります。警戒心があると絶対、そ のような寝方をすることはありません。

羊も警戒心の強い動物ですから、少しでもストレスがあると起きあがったままで、寝転ぶことはないそうです。  け れども、羊飼いが側にいるので、何のストレスもない安心しきっているときに、初めて寝ころぶそうです。

羊飼いは、羊の必要を満たしてあげ、羊が牧場に寝ころぶことができるほどに休息を与えます。

イエス様も全く同じです。私たちが心に飢え渇きを覚えるときに、心の飢え渇きを癒し、心のストレスを取り除いてく ださるお方です。

今、コロナ禍で多くの人たちの心が渇いています。これから先、日本はどうなるのだろうか? 私たちの生活はどうなるのだろうか?お店はどうなるのだろうか、職場はどうなるのだろうか、 いつまで、コロナウィルスを警戒して生きていかなければならないのだろうか? そのような我慢と忍耐を強いられている中で、せっかくのゴールデンウィークも、家族旅行に行けず、外食もできず、ステイホームを強いられいる状況です。 この状況が続きますと、心は渇き、ストレスは溜まるばかります。

けれどもイエス様は、そのような私たちの心の飢え渇きを癒し、ストレスを取り除いてくださるために、いつも私た ちと伴って、私たちを優しく導いてくださいます。

③主は安らぎを与えてくださるために伴ってくださる羊飼い

「主は私を緑の牧場に伏させ  いこいのみぎわに伴われます。」 羊飼いは羊を牧場に導いて餌をたっぷりと与え、くつろがせ、水を飲ませるために川辺まで導きます。 それと同じように私たちの羊飼いイエス様も、私たちの心の渇きを癒してくださるだけでなく、心の中の不安や恐れを取り除いて、心に休息、安らぎを与えてくださいます。

「    いこいのみぎわに伴われます。」と書いててあるからです。

私たちが今、どのような困難な道のりを歩んでいたとしても、真の羊飼いであるイエス様が私たちといつも伴ってく ださいますので、恐れる必要はありません。真の羊飼いであるイエス様と伴って歩み続けて行きましょう。

2021 2 7那覇・東風平オンライン礼拝 機会を十分に活かしなさい④

機会を十分に活かしなさい4エペソ5:16,17

時を無駄にしてしまう思いとはどのようなものか
I.罪責感
罪責感に支配されていますと、今の生き方にも悪影響を及ぼし、将来の事を展望するときにも悲観的になったりすることがあります。
けれどもイエス様は、そんな私たちのために十字架に架かってくださったことを忘れてはなりません。
十字架の血潮は、過去の罪責感を拭い去れないようなそんな中途半端な赦しではありません。
そこから完全に開放されるほどの赦しをもたらすのがイエス様の十字架の恵みです。
主の前に悔い改めた罪であるならば、主は、赦し忘れてくださっておられますから、罪責感で時間を無駄に浪費する必要はありません。
イエス様の十字架の恵みに対して不信仰になって、罪責感を持ち続けますと、サタンに機会を与えてしまう事になり兼ねません。
心の罪責感をすべてイエス様の御手に手放すことによって機会を十分に活かすことができます。
II.怒り
多くの人は、過去の様々な理不尽な体験が赦せないまま、心の中に怒りとなって蓄積されています。
それが幼少期の体験である場合もありますし、思春期の体験である場合もあります。あるいは、大人になってからの体験であるかも知れません。
赦すことが出来ないまま、心の中で何度も反芻して、怒りというネガティブな思いに支配されてしまいますと、多くの時間を無駄に浪費してしまう事になり、サタンに機会を与えてしまう事になり兼ねません。
人から傷つけられたという過去の事を思い出す度に、怒りという感情が出て来ることによって、結局、自分自身をそのたびに傷つけて苦々しい思いがどんどん増していくばかりです。
赦せないというその感情は、何とかしたくても、自分の力では、決して葬り去ることはできません。
けれどもイエス様に吐き出して、手放す時に、イエス様が、自分ではどうにもできないその怒りという感情をきよめてくださり、拭い去ってくださいます。
III.思い煩い
統計学者によりますと、思い煩いの90%は現実に起こらないと言われています。
つまり、思い煩っている事のほとんどは心で勝手に描いた妄想だということです。
けれども、サタンは悪賢いですから私たちが何かに思い煩う時、その思いに付け込んで、そこから抜け出せないような罠を張って待ち構えています。
神様から与えられた機会を思い煩う事の為に浪費してしまうように仕向けて来るのがサタンです。
心がいったん思い煩いに支配されてしまいますと、拍車をかけるように様々なネガティブな思いが心の中を占領してしまいます。
そうすると思い煩いはさらに不安や恐れへと膨らんでいき、イエス様が見えなくなってしまって、益々思い煩うようになって行って、サタンに機会を奪われてしまう事になり兼ねません。
けれどもイエス様は「あなたのすべての思い煩いをわたしに委ねなさい」と手を差し伸べておられます。
すべての思い煩いをイエス様に手放すときにはじめて、機会を十分に活かすことが出来ます。
このように私たちは、しばしば、否定的な思いや感情によって、時をサタンに奪われている事があります。
それは罪責感であったり、怒りであったり、思い煩いであったりします。
否定的なすべての思いをイエス様に注ぎ出して、イエス様に全く手放して、その思いをきよめて頂いて、時を買い戻して行きましょう。

(今井)