詩篇46篇 「静まって神を知る」
苦難の中にあって心に留めるべき3つのこと
I.恐れることをやめなさい
ここに「やめよ」と書いてあります。
イスラエルがアッシリヤに包囲されたときにヒゼキヤもイスラエルの民も恐れおののきました。
敵に囲まれて太刀打ちできない。もはやなすすべがない。
そのような絶体絶命の中にあって、神様は心騒がすのをやめなさいと語られました。
私たちの心が不安と恐れにいつまでも支配されてしまいますとストレスがどんどん蓄積されて行って、人に対して冷たくなっていくことがあり得るということです。
けれどもイエス様は仰います。どのような苦難の中にあったとしても恐れることをめなさいと。
II.主の前に静まりなさい
「やめよ」というみことばは「主の前に静まりなさい」とも訳されています。
口語訳聖書では、「静まってわたしこそ神であることを知れ。」と訳されていますし、文語訳聖書でも「汝ら静まりて、我の神たるを知れ」と訳されています。
ヒゼキヤは国が危機的な状況にある中で最初にしたことは、アッシリヤに多額の和解金を払ってこれ以上苦しめないで欲しいと懇願しました。
けれどもお金では真の解決がないことが分かって、神様により頼むしかないと悟って神様の前に静まって祈りをささげました。
私たちが苦難の中にある時に心に留めるべき二つ目は 「主の前に静まりなさい。」という事です。
このような苦難の中にある時こそ、神様の前に静かにじっくりと祈る時を持ったり、聖書のみことばに触れて、神様は何と語っておられるのか、静かに耳を傾ける時を持ったりすることが大切です。
主の前に静まる時を持つときに、不安や恐れは慰めや平安へと変わります。
最初に語った恐れることを止める鍵は実はここにあります。
III.主の前に静まって神様の素晴らしさを知りなさい
「わたしこそ神であることを知れ」
イザヤ書37章の16~20節には、ヒゼキヤの祈りの内容が詳しく記されています。
ヒゼキヤは危機的状況の中で、神様の前に静まって祈った時に、彼は祈りの中で「あなただけが主です」と繰り返しています。主の前に静まったことによって神様の素晴らしさを彼は体験しました。
私たちも主の前に静まる時に、神様がどんなに偉大でどんなに素晴らしいお方で、どんなに礼拝するに値するお方であるかをより深く知ることが出来ます。
46篇には神様の素晴らしさが繰り返し記してあります。
神様は私たちの避け所であり、力であり、苦しむときいつも助けの手を差し伸ばしておられるお方であり、どのような苦難からも助けてくださる全能の神様であり、苦難の真っただ中にあっても、クリスチャンと共におられるお方であることが約束されています。
そのような素晴らしい神様であることを私たちがより深く心に味わう時にどのような苦難の中にあっても、神様から平安を頂き、力を頂いて、苦難を乗り越えて行くことができると聖書は約束しています。
たとえ天地がひっくり返ることがあっても、たとえ洪水や大地震が襲ったとしても、恐れることをやめ、神様の前に静まって神様の素晴らしさを日々味わいながら、なおこの難局を乗り切りましょう。
(今井)
1.ご一緒に祈りのときを持ちましょう。
2.インマヌエル讃美歌155番「悩むものよ」ご一緒に賛美しましょう。
3.ご一緒に頌栄を賛美し祝祷をおささげします。