2021/5/ 30那覇・東風平礼拝 主は平安と祝福の道へと導いてくださる。

「義の道に導かれる羊飼い」  詩篇23篇連続講解説教④

「主は私のたましいを生き返らせ御名のゆえに私を義の道に導かれます。」23篇3節

Ⅰ.主は導いてくださる羊飼い

「主は…御名のゆえに私を義の道に導かれます。」 羊飼いは、羊が死なないようにいつも先頭に立って、羊を導いて養います。  イエス様も私たちの先頭に立って、いつも私たちを導いてくださるお方です。

イエス様のみ声が分からないというクリスチャンはいません。 ヨハネの福音書10章3節、4節にこのように記されているか らです。

「羊たちはその声を聞き分けます。牧者は自分の羊たちを、それぞれ名を呼んで連れ出します。」

「牧者はその先頭に立って行き、羊たちはついて行きます。彼の声を知っているからです。」  ヨハネ10:3,4 ここに羊は、「羊飼いの声を聞き分ける」「羊飼いの声を知っている」とも記されています。つまり、羊である私たちは、羊飼いイエス様の御声を聞き分けることができるということです。イエス様の御声は、肉声ではありませんが、内なるみ声を通して「こっ ちじゃないよ、こっちだよ」と導かれます。

イエス様は常に私たちの先頭に立ってクリスチャン一人一人に御声をかけておられます。その声にじっくりと耳を傾けるとき に、羊飼いイエス様の御声を聞き分けることができます。ある時は、みことばを思いめぐらしている時に、あるときは、内なる御 霊の語りかけを通して、あるときは祈っているときに御声を聞くことがあります。

羊が羊飼いの声を聞き分けるように、私たちもイエス様の御声にじっくりと耳を傾けるときに導いてくださる主の御声を聞くことができます。主の導きを聞き分けることができないのは、イエス様が御声をかけておられるのに静かに耳を傾けようとしないか らです。

ときに私たちは羊飼いイエス様が導いておられる道が、はっきりわからないまま、見切り発車をして、自分勝手に進んでしまって、後で後悔してしまうことがあるかも知れません。また、あるときはイエス様の御心よりも自分の考えや思いの方が確かに 思えて、主の御声に耳を傾けようとしないことがあるかも知れません。  あるいは御心よりも魅力的に見える道に進みたくて、御 声を聞こうとしないことがあるかも知れません。

イエス様は御声をかけて導いておられるのに、御声に耳を傾けようとしないならば御声を聞き分けることはできません。 け れどもじっくりと耳を傾けるならば、羊が羊飼いの声を聞き分けて従うように、御声を聞き分け、イエス様の導きがどこにあるの かをとらえることができるはずです。

Ⅱ.主は義の道に導いてくださる羊飼い

「御名のゆえに私を義の道に導かれます。」

「義の道」とは「正しい道」という意味であり、神様の平安と祝福につながる道であるという意味であり、私たちを災いに導く道で はなく、平安と祝福に導く道です。

羊が羊飼いの声を聞き分けて、導かれるままについていくとき、そこは牧場や水のほとりにつながる憩いの場所に行き着くよ うに羊飼いイエス様の御声を私たちが聞き分けて従う時、必ず溢れる祝福の道へ行き着きます。 アブラハムは75歳の時「あなたは、あなたの土地、あなたの親族、あなたの父の家を離れて、わたしが示す地へ行きなさ い。そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、」と語りかけを受けました。 その時アブラハムは、行き先を知らないで神様の導きに従った結果、彼自身も彼の子孫に至るまであふれる祝福が注がれまし た。  主の導きに従う時にそれは平安と祝福につながります。

先々週、とても悩ましい問題に直面して、主の導きを仰いだ時に、主はいちばんよい形で解決へと導いてくださった事を体験 して、イエス様に感謝をささげました。

イエス様は必ず平安と祝福へとつながる場所に導いてくださいますから、日常の些細なことであっても、大きな分岐点に立た されているときにも、私の考え、私の最善、私のベストに頼らずに、祈って主の導きをとらえ、主の導きに従って歩んで参りましょう。

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