祝福ある生涯の秘訣① 「心を悩ますな」 詩篇37篇 連続説教 (2021/8/29)
Ⅰ.いかなる時にも心を悩ませてはならない。 ダビデは、悪を行う者たちが栄える現実を見たり、悪意をもってダビデ自身に理不尽な攻撃してくる現実 に直面して、怒りを覚えたり、妬みを起こしたり、恐れたり思い煩ったり、心を悩ませずにはいられませんで した。
そのような現実の中で彼は、自分自身に言い聞かせるかのように「心を悩ませてはならない」と1節、7 節において訴えています。
いかなる時にも「心を悩ませてはならない」 これは聖書全体が私たち一人一人に語っているメッセージ です。
イエス様ご自身も「何事も思い煩ってはならない」 「恐れてはならない」 「心を騒がせてはならない」と 繰り返し語っておられます。
箴言4章23節にこのようなみことばが記されています。
「何を見張るよりもあなたの心を見守れ。いのちの泉はこれから湧く。」 私たちの心の中が悩みに支配されてしまうことがないように、心を見守っていかなければなりません。
Ⅱ.心を悩ませてしまう原因はどこにあるのか 神様を見失う事 これは聖書の一貫した真理です。 アダムとエバは、神様の戒めを破って、神様から離れて神様を見失いました。そこから彼らは悩み苦しむ ようになりました。 エジプトを脱出したイスラエルの民もそうでした。彼らは神様の恵みを忘れて、神様を見失ったときに、怒 りやいらいら、思い煩い、恐れが支配するようになりました。 ダビデも、神様が共におられるという確信があるときには、彼は大胆に恐れることなく行動していました が、直面している問題に目が奪われ、神様を見失ったとき、彼は、悩み苦しみました。 エリヤもイゼベルの怒りをかったとき、怖くなって逃げてホレブに身を隠しました。バアルの預言者と対決 し、祈りによって雨を降らせた同じエリヤとは思えないほど、彼は憶病になっていました。 どのような危機的な状況の時にも、神様だけを見上げていたエリヤが神様よりも直面している問題に心 を奪われて、神様を見失ってしまった事の中に彼の悩みの原因がありました。
私たちが直面している問題ばかりに心を奪われて、神様を見失ってしまう時、心は悩み苦しみます。 今、置かれている現実がどのように深刻であったとしても、神様が私と共におられるという信仰に立つとき、私たちの心は思い煩い、悩みに心を奪われてしまうことから守られます。
Ⅲ. 厳しい現実の中で今なすべき事は、神様が共におられるという実感を深めて行くこと まさに今、コロナという大きな戦争の真只中で、時代は違うステージへと入りました。 このような時代だからこそ、私たちが忘れてはならないことは、いかなる時にも神様が共にいてくださると いう実感を日々深めていくという事です。 神様がいつもともにいてくださるとい実感を深めていくために、朝毎の祈りをもっと充実させていく事に心 を用いたり、オンラインであっても礼拝を心からささげることに心を用いたり、聖書のみことばを日毎に、思 い巡らしたりと、基礎的な事をこつこつと持ちながら、神様が共におられるという実感を深めていく必要が あります。
私たちが心を悩ませてしまう原因は、イエス様を見失ってしまうところにあります。 今置かれている現実がどのように厳しくても、共におられるイエス様を見失うことがないように、常にイエス様を心に留めながら歩んで参りましょう。 (今井)