女性大会

日時:7月18日

時間:午前10時 午後:1時

講師:里村桂子先生

「社会福祉法人呉ハレルヤ会呉ベタニアホーム統括施設長。法政大学大学院イノベーションマネジメント(MBA)卒業、広島国際大学臨床教授、前法政大学大学院客員教授、広島県認知症介護指導者、広島県精神医療審査会委員、呉市介護認定審査会委員。ケアハウス、デイサービス、サービス付高齢者住宅、小規模多機能ホーム、グループホーム、居宅介護事業所などの複数施設の担当理事。2017年10月に東京都杉並区の荻窪で訪問看護ステーション「ユアネーム」を開設」(参照:https://www.hmv.co.jp/artist_%E9%87%8C%E6%9D%91%E4%BD%B3%E5%AD%90_000000000797765/biography)

テーマ:「認知症の介護について」

場所:インマヌエル那覇キリスト教会

お問合せ:098-836-3611

2021 9 5那覇・東風平 主との関係によって生み出される喜び

祝福ある生涯の秘訣②  「主を喜びとせよ」  詩篇37篇  連続説教  (2021/9/5)

Ⅰ.人生には、喜べない状況に直面することがある 私たちは人生において、嬉しいこと、喜ばずにはいられないこと、感謝せずにはいられないこと、そのような事が何度もあるのではないかと思います。 そのような時、私たちは、これも神様からの祝福であり、ご褒美であることを覚えて、神様に感謝をささげて大いに喜びを味わうと良いかと思います。

けれども、それと共に、人生には、とても喜べない状況に直面する事もしばしばあります。 詩篇37篇を記したダビデの生涯がそうでした。 ダビデの生涯は祝福の生涯でしたけれども、試練の生涯でもありました。

いのちを狙われ、殺されそうになったり、裏切られたり、理不尽すぎる苦しみに直面したりしました。

イエス様がヨハネの福音書16章33節で「世にあっては苦難があります」と語っておられるように、 私たちは人生において、とても喜べないと思えるような苦難の中に置かれることがしばしばあります。

けれども今日のみ言葉には「喜びとせよ」と記されています。 新改訳聖書には747回「喜び」という言葉が使われています。しかもとても喜べないような状況の中で「喜びなさい」と聖書は命じています。 これは辛いのに無理してでも「喜びなさい」と言っているのではありません。 けれども今朝の聖句には、喜べない状況にあるときにも、喜ぶことができる秘訣が記されています。

そのことを第二番目にみていきます。

Ⅱ.神様のうちに喜びを見出しなさい

4節に「主を自らの喜びとせよ」と記してあります。 ここで使われている「喜び」という言葉はヘブル語では、「神様との関係によって生み出される喜び」という意味があるそうです。

「主を自らの喜びとせよ」とは、神様との関係によって喜びを見出しなさいという意味です。 主を喜びとするときに、私たちはたとえ辛い中にあっても喜ぶことができるようなそのような喜びを神様は与えてくださいます。

辛い中にあっても祈りの中で生み出される喜びというものがあります。

みことばを黙想している中で与えられる喜びというものがあります。 また聖霊の御声に従うことによって与えられる喜びというものがあります。

このように  「主を自らの喜びとせよ」とは、神様との関係によって喜びを見出しなさいという意味です。

今、厳しい試練の中に私たち人ひとり置かれています。 日々目まぐるしく移り変わる状時代にあって目の前には様々な苦難が蓄積しているかも知れません。 厳しい時代の中で、苦難に押しつぶされそうになって、不安や恐れを覚えたり、希望を見失ったりしてしまって、い

つしか、神様の内にある喜びを見失ってしまっているかも知れません。

けれども今朝のみことばは、直面している問題によって一喜一憂するのではなく、神様との関係によって生み出さ れる喜びを見つけなさいと語っています。

「主を自らの喜びとせよ」と今朝のみ言葉は語っていますから、苦難によって一喜一憂してしまうような 一時的な不安定な喜びではなく、イエス様との関係によって生み出される喜びを見出しながら、この時代を歩んで参りましょう。(今井)

2021 8 29オンライン 心を悩ますな これが祝福の生涯の秘訣の第1

祝福ある生涯の秘訣①  「心を悩ますな」  詩篇37篇  連続説教  (2021/8/29)

Ⅰ.いかなる時にも心を悩ませてはならない。 ダビデは、悪を行う者たちが栄える現実を見たり、悪意をもってダビデ自身に理不尽な攻撃してくる現実 に直面して、怒りを覚えたり、妬みを起こしたり、恐れたり思い煩ったり、心を悩ませずにはいられませんで した。

そのような現実の中で彼は、自分自身に言い聞かせるかのように「心を悩ませてはならない」と1節、7 節において訴えています。

いかなる時にも「心を悩ませてはならない」  これは聖書全体が私たち一人一人に語っているメッセージ です。

イエス様ご自身も「何事も思い煩ってはならない」  「恐れてはならない」  「心を騒がせてはならない」と 繰り返し語っておられます。

箴言4章23節にこのようなみことばが記されています。

「何を見張るよりもあなたの心を見守れ。いのちの泉はこれから湧く。」 私たちの心の中が悩みに支配されてしまうことがないように、心を見守っていかなければなりません。

Ⅱ.心を悩ませてしまう原因はどこにあるのか          神様を見失う事 これは聖書の一貫した真理です。 アダムとエバは、神様の戒めを破って、神様から離れて神様を見失いました。そこから彼らは悩み苦しむ ようになりました。 エジプトを脱出したイスラエルの民もそうでした。彼らは神様の恵みを忘れて、神様を見失ったときに、怒 りやいらいら、思い煩い、恐れが支配するようになりました。 ダビデも、神様が共におられるという確信があるときには、彼は大胆に恐れることなく行動していました が、直面している問題に目が奪われ、神様を見失ったとき、彼は、悩み苦しみました。 エリヤもイゼベルの怒りをかったとき、怖くなって逃げてホレブに身を隠しました。バアルの預言者と対決 し、祈りによって雨を降らせた同じエリヤとは思えないほど、彼は憶病になっていました。 どのような危機的な状況の時にも、神様だけを見上げていたエリヤが神様よりも直面している問題に心 を奪われて、神様を見失ってしまった事の中に彼の悩みの原因がありました。

私たちが直面している問題ばかりに心を奪われて、神様を見失ってしまう時、心は悩み苦しみます。 今、置かれている現実がどのように深刻であったとしても、神様が私と共におられるという信仰に立つとき、私たちの心は思い煩い、悩みに心を奪われてしまうことから守られます。

Ⅲ. 厳しい現実の中で今なすべき事は、神様が共におられるという実感を深めて行くこと まさに今、コロナという大きな戦争の真只中で、時代は違うステージへと入りました。 このような時代だからこそ、私たちが忘れてはならないことは、いかなる時にも神様が共にいてくださると いう実感を日々深めていくという事です。 神様がいつもともにいてくださるとい実感を深めていくために、朝毎の祈りをもっと充実させていく事に心 を用いたり、オンラインであっても礼拝を心からささげることに心を用いたり、聖書のみことばを日毎に、思 い巡らしたりと、基礎的な事をこつこつと持ちながら、神様が共におられるという実感を深めていく必要が あります。

私たちが心を悩ませてしまう原因は、イエス様を見失ってしまうところにあります。 今置かれている現実がどのように厳しくても、共におられるイエス様を見失うことがないように、常にイエス様を心に留めながら歩んで参りましょう。                                                                                            (今井)

2021/8/22 那覇・東風平オンライン礼拝

「傷んた葦を折ることもなく」                           イザヤ書 42 章 3 節

「傷んだ葦を折ることもなく、くすぶる燈心を消すこともなく」  イザヤ42章3節

イザヤ書はイエス様の預言が多く記されている書として有名な書簡ですが、この42章もそうです。 マタイ12章17節では、イザヤの預言したこの箇所が成就したことが記されています。 今日はここから二つのことを見ていきます。

Ⅰ.傷んだ葦、くすぶる燈心の意味 葦という植物は、とても細くて、風が吹くとすぐに折れかかってしまうもろい植物でした。 ですからすぐに傷んでしまいました。 当時のイスラエルでは、葦の茎を使って籠を作ったりしていたそうですけど、傷の付いた葦は、使いものにならなくて捨てるしかなかったそうです。 それから「くすぶる燈心」と書いてありますが、当時の灯りは油が燃料となるランプを使っていましたから、燃料の

ですから傷んだ葦もおられて当然ですし、くすぶる燈心も消されて当然でした。 けれどもイエス様はそうなさらなかった。傷んだ葦を折ることもなく、くすぶる燈心を消すこともなかった。そのことを イザヤは預言したわけです。

つまり「傷んだ葦」「くすぶる燈心」とは、生きることに失望して今にも倒れそうな人々の状態を表わしています。

多くの人が苦しい現実に立たされて、まさに「傷んだ葦、くすぶる燈心」のように、直面している現実に立ち向かう 気力を失っています。

「傷んだ葦、くすぶる燈心」  とは今にも折れかかっている人々の心を表しています。

Ⅱ.イエス様は、傷んだ葦を折ることもなく、くすぶる燈心を消すこともない愛のお方

「傷んだ葦を折ることもなく、くすぶる燈心を消すこともなく」3節 イエス様は、希望を失って生きることに疲れて今にも倒れそうになっている者たちを決し見捨てることをなさらず、

そのような私たちの弱さに共感して下さり、立ち上がらせてくださるお方です。

イエス様は復活後にペテロに現れてそのように扱われました。

「あなたはなんていうことをしたのか」とペテロを責める言葉は一言もおっしゃらずに、「あなたはわたしを愛します か」と問われて、「あなたはわたしに従いなさい」とペテロに立ち直るきっかけをお与えになりました。

ペテロはそのイエス様の愛に触れたことによって、彼は立ち直ることが出来ました。 イエス様は、いたんだ葦を折ることもなく、くすぶる燈心を消すこともないお方です。

イエス様は、取税人ザアカイに対しても、サマリヤの女に対しても、傷んだ葦を折ることもなく、くすぶる燈心を消 すこともなく、気落ちしている者たちにやり直す機会を与えてくださいました。

イエス様は私たちにも同じように扱ってくださいます。 コロナ禍にあって、自分の力ではどうにもならない苦難の中に置かれて、悩みに打ち負かされて「傷んだ葦」「くす

ぶる燈心」のように今にも倒れてしまいそうになることがあるかもしれません。 けれどもイエス様は傷んだ葦を折ることもなく、くすぶる燈心を消すこともないそのような愛のお方です。ですか

ら、今もなお、失望している者たち一人一人が倒れてしまうことがないように、「あなたが直面しているその悩みを私 のところに持って来てごらん。」と語っていてくださり、乗り越える力を与えてくださるお方です。

私たちが今、倒れそうになるほどの、悩み、苦しみの中をたとえ通っていたとしても、イエス様は、「傷んだ葦」を折る こともなく、「くすぶる燈心」を消すことをなく、私たちが倒れることがないように私たちの悩みに共感し、力づけ、立ち 上がらせてくださるお方です。

そのようなイエス様に、これからもお頼りして歩んで行きまししょう。                                                                                           (今井)

2021 8 8オンライン礼拝 主は倒れかかっている者を顧みてくださる

「傷んた葦を折ることもなく」                           イザヤ書 42 章 3 節

「傷んだ葦を折ることもなく、くすぶる燈心を消すこともなく」  イザヤ42章3節

イザヤ書はイエス様の預言が多く記されている書として有名な書簡ですが、この42章もそうです。 マタイ12章17節では、イザヤの預言したこの箇所が成就したことが記されています。 今日はここから二つのことを見ていきます。

Ⅰ.傷んだ葦、くすぶる燈心の意味 葦という植物は、とても細くて、風が吹くとすぐに折れかかってしまうもろい植物でした。 ですからすぐに傷んでしまいました。 当時のイスラエルでは、葦の茎を使って籠を作ったりしていたそうですけど、傷の付いた葦は、使いものにならなくて捨てるしかなかったそうです。 それから「くすぶる燈心」と書いてありますが、当時の灯りは油が燃料となるランプを使っていましたから、燃料の油が燃え尽きて燈心がくすぶると芯から煙ばかりが出るので火は消されました。

ですから傷んだ葦もおられて当然ですし、くすぶる燈心も消されて当然でした。 けれどもイエス様はそうなさらなかった。傷んだ葦を折ることもなく、くすぶる燈心を消すこともなかった。そのことを イザヤは預言したわけです。

つまり「傷んだ葦」「くすぶる燈心」とは、生きることに失望して今にも倒れそうな人々の状態を表わしています。

多くの人が苦しい現実に立たされて、まさに「傷んだ葦、くすぶる燈心」のように、直面している現実に立ち向かう 気力を失っています。

「傷んだ葦、くすぶる燈心」  とは今にも折れかかっている人々の心を表しています。

Ⅱ.イエス様は、傷んだ葦を折ることもなく、くすぶる燈心を消すこともない愛のお方

「傷んだ葦を折ることもなく、くすぶる燈心を消すこともなく」3節 イエス様は、希望を失って生きることに疲れて今にも倒れそうになっている者たちを決し見捨てることをなさらず、

そのような私たちの弱さに共感して下さり、立ち上がらせてくださるお方です。

イエス様は復活後にペテロに現れてそのように扱われました。

「あなたはなんていうことをしたのか」とペテロを責める言葉は一言もおっしゃらずに、「あなたはわたしを愛します か」と問われて、「あなたはわたしに従いなさい」とペテロに立ち直るきっかけをお与えになりました。

ペテロはそのイエス様の愛に触れたことによって、彼は立ち直ることが出来ました。 イエス様は、いたんだ葦を折ることもなく、くすぶる燈心を消すこともないお方です。

イエス様は、取税人ザアカイに対しても、サマリヤの女に対しても、傷んだ葦を折ることもなく、くすぶる燈心を消 すこともなく、気落ちしている者たちにやり直す機会を与えてくださいました。

イエス様は私たちにも同じように扱ってくださいます。 コロナ禍にあって、自分の力ではどうにもならない苦難の中に置かれて、悩みに打ち負かされて「傷んだ葦」「くすぶる燈心」のように今にも倒れてしまいそうになることがあるかもしれません。 けれどもイエス様は傷んだ葦を折ることもなく、くすぶる燈心を消すこともないそのような愛のお方です。ですか

ら、今もなお、失望している者たち一人一人が倒れてしまうことがないように、「あなたが直面しているその悩みを私 のところに持って来てごらん。」と語っていてくださり、乗り越える力を与えてくださるお方です。

私たちが今、倒れそうになるほどの、悩み、苦しみの中をたとえ通っていたとしても、イエス様は、「傷んだ葦」を折る こともなく、「くすぶる燈心」を消すことをなく、私たちが倒れることがないように私たちの悩みに共感し、力づけ、立ち 上がらせてくださるお方です。

そのようなイエス様に、これからもお頼りして歩んで行きましょう。                                                                                           (今井)