2021 5 2オンライン礼拝  主は心の渇きを癒し休息をお与えになる羊飼い

2021/5/2   説教メモ   詩篇23篇   連続講解説教   「主は私の羊飼い」②

今朝は、特に2節のみことばに心を留めながら三つのことを見ていきます。

「   主は私を緑の牧場に伏させ  いこいのみぎわに伴われます。」2節

①主は私に伴ってくださる羊飼い 羊飼いは杖と鞭をもって、弱くて迷いやすい羊から離れることなく、羊に伴っていました。 ここて使われている「伴う」という言葉は、原文では、「寄り添いながら、優しく導く」という意味があるそうです。決して強制的な、急かすような導きではありません。

まさに真の羊飼いであるイエス様は、いつも私たちに寄り添って、愛をもって優しく導いてくださるお方です。

私たちは日々の歩みの中で、つい、あれやこれやと荷物を抱えてしまい、悩んだり思い煩ったりします。また 様々な困難に直面し、人生の修羅場に直面することもあります。 けれども感謝なことに、どのような困難な問題に直面しても、私たちが押しつぶされることがないようにイエス様は、いつも寄り添ってくださり、優しく導いていてくださるお方である事を忘れてはなりません。

②主は心の飢え渇きを癒すために伴ってくださる羊飼い

「主は私を緑の牧場に伏させ  いこいのみぎわに伴われます。」 羊飼いは、羊を外敵から守りながら、羊に寄り添って、牧草に導き、餌を与えます。そして川のほとりに導いて水を

やります。  羊は、お腹も満たされて、牧草に伏せるそうです。

うちで飼っている猫たちも家の中で、おなかを丸出しにして仰向けに寝ることがあります。警戒心があると絶対、そ のような寝方をすることはありません。

羊も警戒心の強い動物ですから、少しでもストレスがあると起きあがったままで、寝転ぶことはないそうです。  け れども、羊飼いが側にいるので、何のストレスもない安心しきっているときに、初めて寝ころぶそうです。

羊飼いは、羊の必要を満たしてあげ、羊が牧場に寝ころぶことができるほどに休息を与えます。

イエス様も全く同じです。私たちが心に飢え渇きを覚えるときに、心の飢え渇きを癒し、心のストレスを取り除いてく ださるお方です。

今、コロナ禍で多くの人たちの心が渇いています。これから先、日本はどうなるのだろうか? 私たちの生活はどうなるのだろうか?お店はどうなるのだろうか、職場はどうなるのだろうか、 いつまで、コロナウィルスを警戒して生きていかなければならないのだろうか? そのような我慢と忍耐を強いられている中で、せっかくのゴールデンウィークも、家族旅行に行けず、外食もできず、ステイホームを強いられいる状況です。 この状況が続きますと、心は渇き、ストレスは溜まるばかります。

けれどもイエス様は、そのような私たちの心の飢え渇きを癒し、ストレスを取り除いてくださるために、いつも私た ちと伴って、私たちを優しく導いてくださいます。

③主は安らぎを与えてくださるために伴ってくださる羊飼い

「主は私を緑の牧場に伏させ  いこいのみぎわに伴われます。」 羊飼いは羊を牧場に導いて餌をたっぷりと与え、くつろがせ、水を飲ませるために川辺まで導きます。 それと同じように私たちの羊飼いイエス様も、私たちの心の渇きを癒してくださるだけでなく、心の中の不安や恐れを取り除いて、心に休息、安らぎを与えてくださいます。

「    いこいのみぎわに伴われます。」と書いててあるからです。

私たちが今、どのような困難な道のりを歩んでいたとしても、真の羊飼いであるイエス様が私たちといつも伴ってく ださいますので、恐れる必要はありません。真の羊飼いであるイエス様と伴って歩み続けて行きましょう。

2021 2 7那覇・東風平オンライン礼拝 機会を十分に活かしなさい④

機会を十分に活かしなさい4エペソ5:16,17

時を無駄にしてしまう思いとはどのようなものか
I.罪責感
罪責感に支配されていますと、今の生き方にも悪影響を及ぼし、将来の事を展望するときにも悲観的になったりすることがあります。
けれどもイエス様は、そんな私たちのために十字架に架かってくださったことを忘れてはなりません。
十字架の血潮は、過去の罪責感を拭い去れないようなそんな中途半端な赦しではありません。
そこから完全に開放されるほどの赦しをもたらすのがイエス様の十字架の恵みです。
主の前に悔い改めた罪であるならば、主は、赦し忘れてくださっておられますから、罪責感で時間を無駄に浪費する必要はありません。
イエス様の十字架の恵みに対して不信仰になって、罪責感を持ち続けますと、サタンに機会を与えてしまう事になり兼ねません。
心の罪責感をすべてイエス様の御手に手放すことによって機会を十分に活かすことができます。
II.怒り
多くの人は、過去の様々な理不尽な体験が赦せないまま、心の中に怒りとなって蓄積されています。
それが幼少期の体験である場合もありますし、思春期の体験である場合もあります。あるいは、大人になってからの体験であるかも知れません。
赦すことが出来ないまま、心の中で何度も反芻して、怒りというネガティブな思いに支配されてしまいますと、多くの時間を無駄に浪費してしまう事になり、サタンに機会を与えてしまう事になり兼ねません。
人から傷つけられたという過去の事を思い出す度に、怒りという感情が出て来ることによって、結局、自分自身をそのたびに傷つけて苦々しい思いがどんどん増していくばかりです。
赦せないというその感情は、何とかしたくても、自分の力では、決して葬り去ることはできません。
けれどもイエス様に吐き出して、手放す時に、イエス様が、自分ではどうにもできないその怒りという感情をきよめてくださり、拭い去ってくださいます。
III.思い煩い
統計学者によりますと、思い煩いの90%は現実に起こらないと言われています。
つまり、思い煩っている事のほとんどは心で勝手に描いた妄想だということです。
けれども、サタンは悪賢いですから私たちが何かに思い煩う時、その思いに付け込んで、そこから抜け出せないような罠を張って待ち構えています。
神様から与えられた機会を思い煩う事の為に浪費してしまうように仕向けて来るのがサタンです。
心がいったん思い煩いに支配されてしまいますと、拍車をかけるように様々なネガティブな思いが心の中を占領してしまいます。
そうすると思い煩いはさらに不安や恐れへと膨らんでいき、イエス様が見えなくなってしまって、益々思い煩うようになって行って、サタンに機会を奪われてしまう事になり兼ねません。
けれどもイエス様は「あなたのすべての思い煩いをわたしに委ねなさい」と手を差し伸べておられます。
すべての思い煩いをイエス様に手放すときにはじめて、機会を十分に活かすことが出来ます。
このように私たちは、しばしば、否定的な思いや感情によって、時をサタンに奪われている事があります。
それは罪責感であったり、怒りであったり、思い煩いであったりします。
否定的なすべての思いをイエス様に注ぎ出して、イエス様に全く手放して、その思いをきよめて頂いて、時を買い戻して行きましょう。

(今井)

2021 1.24 インマヌエル那覇・東風平礼拝

機会を十分に活かしなさい②   エペソ5:16,17

機会を十分に活かす鍵では主のみ心が何であるかを悟ることにあります。 今朝は「主の御心を悟る秘訣」について見て行きます。

2021.   1.24

Ⅰ.祈る

「あなたがたの中で知恵の欠けている人がいれば、だれにでも惜しみなくとがめだてしないでお与えになる神に願 いなさい。そうすれば、与えられます。」(ヤコブ1:5)

ここに「祈るなら、神様は知恵を与えてくださる」とはっきりと約束されています。

主の御心が何であるのか分からない時、見切り発車をして、うやむやなまま行動しないで、祈って御心を確かめて 行動することが主の御心を悟る秘訣です。

特に大事な問題ほど、選択を間違ってしまわないように、祈って主のみ心が何であるかを悟った上で、決断すべき です。

Ⅱ.祈りの結果として示される神のサイン 使徒パウロがアジアで伝道していた時、聖霊によって道が閉ざされましたそこで、パウロはガリラヤの北の地方への伝道を計画ましたが、またも道が閉ざされました。

それで、トロアスという地方に移動しました。そこで、どこに行けば分からず途方に暮れていたパウロに対する祈りの結果として彼は幻をみました。

その幻はマケドニアの人々が「マケドニアに渡ってきて、私たちを助けてください。」と叫ぶ幻でした。

この幻こそが、神様からのゴーサインであると確信して、マケドニアでの伝道を開始されました。

ペテロもそうでした。彼も幻を通して、神のみこころを知りました。彼が今まで全く考えてもいなかった異邦人にも 伝道することが、神の御心であることを悟りました。

祈りの習慣が身についていたパウロもペテロも神様からのサインを見落とすことなく、神の御心をとらえることが できました。

普段から祈っているなら、神様は祈りの結果として、ここに御心があるというとサインを送られます。 神様は、私たちとの祈りの結果として、御心のサインを示されます。それを見逃さないようしなければなりません。

Ⅲ.聖書のみことば 詩篇119:105

「あなたのみことばは、私の足のともしび、私の道の光です。」

神様は、聖書のみことばを通して私たちの足もとを照らし、歩むべき道を示してくださいます。

Ⅳ.神様から与えられる平安

コロサイ3:15  「キリストの平和が、あなたがたの心を支配するようにしなさい。」 ここで使われている「支配する」という言葉は、原文では、「採決する」という意味があります。 つまり「心に神様からの平安があるかないかによって、主のみ心が何であるかを弁えなさい」という意味がこのみ言葉には含まれています。

ある道に進もうとしようとするときに、どうしても心に引っ掛かる、平安がないということがあります。

もし、心に平安がなければ、は急いで行動しない事が賢明な判断です。 神様から平安が与えられるまで熟慮してから行動するときに主の御心を捉えて前進することが出来ます。

今、混沌とした時代、終末の悪い時代に置かれている私達ですが、17節に記されているように主のみ心が何で あるかを悟って歩む事が、「機会を十分に活かす」鍵であることを覚えて、弁えを持って賢く歩ませて頂きましょう。

(今井)

2021 1.10 インマヌエル那覇・東風平礼拝

オンライン礼拝説教アウトライン 2021.1.10
「機会を十分に活かしなさい」1 エペソ5:16,17
「機会を十分に活かしなさい。悪い時代だからです。ですから、愚かにならないで、主のみこころが何であるかを悟りなさい。」エペソ5:16,17
I.機会を十分に活かすとは、その聖書的意味
聖書の原語では、「エクスアゴラゾー」という言葉が使われています。直訳しますと[時を贖いなさい]と訳されるそうで、「サタンによって奪われていた時間を買い戻す」という意味が含まれているそうです。
ですから「機会を十分に生かしなさい」とは分かりやすく言いますと、与えられた時間を神様が喜ばれることの為に用いなさいという意味です。
II.機会を十分に活かす必要性16節の最後に記されている通りです。「悪い時代」だからということです。
今は、終末の時代の象徴である悪い時代です。聖書が世の終わりのしるしとして預言している事が、ことごとく成就しています。
聖書が預言している終末の時代のしるしの一つは人々の愛が冷え、悪がはびこると記されています。
ですから今は、終末の時代の象徴である悪い時代に入りました。だからこそ、私たち一人一人、サタンに時間を奪われてしまわないように、時を贖う必要があります。
一人一人が目を覚ましていませんと、サタンの思うままに時間を奪われてしまいます。
悪い時代ですから、神様のみこころでないことの為に時間を消耗してしまうことがないように目を覚ましていなければなりません。
III.機会を十分に活かす方法
17節にその答えが記されています。
「愚かにならないで主のみこころがなんであるのかを良く悟りなさい」
機会を十分に活かす方法、時を贖う方法は、主の御心を悟って歩むということです。
クリスチャンの人生は、常に二つの選択肢があります。
神様のみ心の道か、神様のみ心に反する道か、この二つの選択肢です。
朝、一日を始めるときにディボーションをもって始めるのか、まったくディボーションの時を持たないで始めるのかという選択肢に迫られた時に「主の御心はなんであるのか」をよく悟って歩むという事です。
また週の始めの礼拝においても今は教会に集まっての礼拝が持てない状況になりましたが、だからこそ余計に、神様は私たちが神を第一として一週間のスタートをするかどうか、その姿勢を見ておられます。
たとえオンラインであったとしても、それぞれの場所で、時を聖別して礼拝を持つのか、それとも礼拝が休みだから、この機会に自分のしたいことを優先するのか、「主の御心はなんであるのか」をよく悟って歩むという事です。
あるいは、私たちの心の中に様々な否定的な感情が心を占領することがあります。
たとえば、怒りという問題があります。エペソ4:26-27には「 怒っても、罪を犯してはなりません。憤ったままで日が暮れるようであってはいけません。 悪魔に機会を与えないようにしなさい。」と記されています。もし引きずっている怒りがあったなら、怒りを引きずり続けるのか、引きずらないように、神様に吐き出して祈るのか、「主の御心はなんであるのか」をよく悟って歩むという事です。
悪い時代に活かされているお互いです。だからこそサタンに機会を与えることがないように、主のみ心が何であるのかを悟って、時を贖う必要があります。
この一年をお互いに機会を十分に活かして、神様の喜ばれることのために時間を用いる一年とならせて頂きましょう。 (今井)