2021/ 6/ 6オンライン 逆境の中であっても恐れる事はない。主が共におられるから

2021/6/6     那覇・東風平オンライン礼拝                                 説教メモ

「たとえ死の陰の谷を歩むとも」  詩篇23篇連続講解説教⑤

「たとえ  死の陰の谷を歩むとしても  私は災いを恐れません。  あなたがともにおられますから。」4節

Ⅰ.死の陰の谷に直面する現実

「死の陰の谷」  この言葉を私たちの人生に置き換えるなら、それは絶望的に見えるほどの逆境と言い換えることができるの ではないでしょうか。  羊飼いは、羊を引き連れて旅をするとき、旅の途中に峡谷を通ったり、山を登ったり下りたりと、とても危 険な道を通ることがありました。ちょっとでも道を誤ると羊が命を落とすこともありましたから、羊飼いは、羊たちを見守りながら、 旅を続けました。 ダビデ自身も羊飼いの時の体験と共に、彼自身の生涯を振り返りながら、死の陰の谷を通った体験を思い 起こして、23篇は歌われています。

ダビデは、サウルの激しい妬みを買って、命を狙われ続けました。サウルが死んだあとは、息子アブシャロムの反逆に会い、またしても命を狙われるはめになりました。

ダビデはまさに死の陰の谷を歩み続けていました。 彼は、この死の影に直面した体験を晩年に書き記したことによって、詩篇23篇は生まれたわけです。 私たちの人生も「死の陰の谷」のような絶望的に見える逆境に直面することが度々あります。 ダビデが「死の陰の谷」を体験したように、私たちも人生において、絶望的に見えるほどの逆境の中を通ることが人生においてはあるという事です。

Ⅱ.死の陰の谷に直面しても主が共におられる

「たとえ  死の陰の谷を歩むとしても  私は災いを恐れません。  あなたがともにおられますから。」4節 何と前向きになれる素晴らしい約束でしょうか!

「死の陰の谷」のような絶望的に見える逆境の中をたとえ通る事があっても、私たちは決して孤独ではありません。一緒に悩んでくださるお方、一緒に悩みを共有してくださるイエス様が私たちと共にいてくださいますからなんと感謝なことであり、心強い ことでしょうか。

ヤコブはベエルシェパを離れてハランに向かう旅の途中、ベテルという地で、神体験をしました。ヤコブは「まことに主がこの 場所におられたのに私は今までそれを知らなかった。」という深い霊的体験をしました。

ヤコブにとっては、まさに死の陰の谷のような苦難の旅でしたが、「私は、孤独ではない、神がともにいてくださる。」という大 きな励ましを頂きました。

私たちが「死の陰の谷」のような絶望的に見えるほどの逆境の中をたとえ通ることがあったとしても、忘れてはならないこと は、イエス様が共にいてくださるという事です。

Ⅲ.死の陰の谷に直面しても主が共におられるので恐れる必要はない

「たとえ  死の陰の谷を歩むとしても  私は災いを恐れません。  あなたがともにおられますから。」4節 ヨハネの福音書10章11節にはこのように記されています。

「わたしは良い牧者です。良い牧者は羊たちのためにいのちを捨てます。」 私の苦しみをすべて知っておられて、私たちのためにご自分のいのちさえ、お捨てになるほどに私たちを愛してくださるイエス様が、一緒にいてくださいますから、いったい何を恐れる必要があるでしょうか。 主が私たちと共にいてくださるから、たとえ死の陰の谷を歩むことがあったとしても、恐れる必要はないとここに宣言されています。 今、死の陰の谷のような絶望に見える逆境の中を歩んでいる方があるかも知れません。 けれども、たとえ死の陰の谷のような絶望に見える逆境の中を歩んでいたとしても、何も恐れる必要はないんだと。なぜな ら、イエス様が共におられるからです。

この信仰に立って歩むときに、死の陰の谷を乗り越えて行く力を主は必ず与えてくださいます。

ですから「たとえ  死の陰の谷を歩むとしても  私は災いを恐れません。  あなたがともにおられますから。」この信仰に立続け て歩ませて頂きましょう。

今井

2021/5/ 30那覇・東風平礼拝 主は平安と祝福の道へと導いてくださる。

「義の道に導かれる羊飼い」  詩篇23篇連続講解説教④

「主は私のたましいを生き返らせ御名のゆえに私を義の道に導かれます。」23篇3節

Ⅰ.主は導いてくださる羊飼い

「主は…御名のゆえに私を義の道に導かれます。」 羊飼いは、羊が死なないようにいつも先頭に立って、羊を導いて養います。  イエス様も私たちの先頭に立って、いつも私たちを導いてくださるお方です。

イエス様のみ声が分からないというクリスチャンはいません。 ヨハネの福音書10章3節、4節にこのように記されているか らです。

「羊たちはその声を聞き分けます。牧者は自分の羊たちを、それぞれ名を呼んで連れ出します。」

「牧者はその先頭に立って行き、羊たちはついて行きます。彼の声を知っているからです。」  ヨハネ10:3,4 ここに羊は、「羊飼いの声を聞き分ける」「羊飼いの声を知っている」とも記されています。つまり、羊である私たちは、羊飼いイエス様の御声を聞き分けることができるということです。イエス様の御声は、肉声ではありませんが、内なるみ声を通して「こっ ちじゃないよ、こっちだよ」と導かれます。

イエス様は常に私たちの先頭に立ってクリスチャン一人一人に御声をかけておられます。その声にじっくりと耳を傾けるとき に、羊飼いイエス様の御声を聞き分けることができます。ある時は、みことばを思いめぐらしている時に、あるときは、内なる御 霊の語りかけを通して、あるときは祈っているときに御声を聞くことがあります。

羊が羊飼いの声を聞き分けるように、私たちもイエス様の御声にじっくりと耳を傾けるときに導いてくださる主の御声を聞くことができます。主の導きを聞き分けることができないのは、イエス様が御声をかけておられるのに静かに耳を傾けようとしないか らです。

ときに私たちは羊飼いイエス様が導いておられる道が、はっきりわからないまま、見切り発車をして、自分勝手に進んでしまって、後で後悔してしまうことがあるかも知れません。また、あるときはイエス様の御心よりも自分の考えや思いの方が確かに 思えて、主の御声に耳を傾けようとしないことがあるかも知れません。  あるいは御心よりも魅力的に見える道に進みたくて、御 声を聞こうとしないことがあるかも知れません。

イエス様は御声をかけて導いておられるのに、御声に耳を傾けようとしないならば御声を聞き分けることはできません。 け れどもじっくりと耳を傾けるならば、羊が羊飼いの声を聞き分けて従うように、御声を聞き分け、イエス様の導きがどこにあるの かをとらえることができるはずです。

Ⅱ.主は義の道に導いてくださる羊飼い

「御名のゆえに私を義の道に導かれます。」

「義の道」とは「正しい道」という意味であり、神様の平安と祝福につながる道であるという意味であり、私たちを災いに導く道で はなく、平安と祝福に導く道です。

羊が羊飼いの声を聞き分けて、導かれるままについていくとき、そこは牧場や水のほとりにつながる憩いの場所に行き着くよ うに羊飼いイエス様の御声を私たちが聞き分けて従う時、必ず溢れる祝福の道へ行き着きます。 アブラハムは75歳の時「あなたは、あなたの土地、あなたの親族、あなたの父の家を離れて、わたしが示す地へ行きなさ い。そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、」と語りかけを受けました。 その時アブラハムは、行き先を知らないで神様の導きに従った結果、彼自身も彼の子孫に至るまであふれる祝福が注がれまし た。  主の導きに従う時にそれは平安と祝福につながります。

先々週、とても悩ましい問題に直面して、主の導きを仰いだ時に、主はいちばんよい形で解決へと導いてくださった事を体験 して、イエス様に感謝をささげました。

イエス様は必ず平安と祝福へとつながる場所に導いてくださいますから、日常の些細なことであっても、大きな分岐点に立た されているときにも、私の考え、私の最善、私のベストに頼らずに、祈って主の導きをとらえ、主の導きに従って歩んで参りましょう。

2021 5 23 礼拝・東風平礼拝 助け主聖霊は慰め、助け、力をくださる

「助け主聖霊」ヨハネ14:16,17

「父はもう一人の助け主をお与えくださり、その助け主がいつまでも、あなたがたとともにいるようにしてくださいます。この方は 真理の御霊です。」

「助け主」という言葉は原語では、パラクレイトスという言葉が使われ、傍らに立つように呼ばれた者という意味だそうです。 今の時代は、新約の時代のように肉体の姿をとられたイエス様と一緒に生活することはできませんが、その代わりにもう一人の助け主を送るとイエス様は約束されました。そのことがペンテコステの日に実現しました。

それ以来、聖霊はクリスチャンの内に宿ってくださるようになりました。 イエス様が新約の時代にいつも弟子たちに寄り添って歩まれて、必要な助けを与えてくださったように、今の時代もイエス様が弟子たちに寄り添ってくださったように、聖霊が信じる者の傍らにおられて助け主となってくださいます。 ここから「助け主聖霊」の特色について三つ見て行きます。

Ⅰ.助け主聖霊は慰めてくださるお方 ここで使われている「助け主」は原文では、「慰め主」とも訳すことができるそうです。 文語訳聖書でも「慰め主」と訳されています。 様々な困難や悲しみに直面したり、とてもつらい状況に直面したりしたときに私たちの傍らにおられる聖霊は私たちの心の辛い思い、苦しい思いを拭い去られるように慰めてくださるお方です。 聖霊の慰めほど深い慰めは他にありません。

使徒の働きにおきましては、ペンテコステの日に聖霊に満たされた弟子たちは、激しい迫害の中にあっても、伝道することができた理由の一つは聖霊の慰めがあったからです。 迫害の連続で心が折れそうになっていたパウロに「恐れないで語り続けなさい。わたしがあなたとともにいるので、あなたを襲って危害を加える者はいない。この町には私の民がたくさんいるのだから」と慰めてくださって、パウロは宣教を継続して行くことができました。ほかの使徒たちもみなそうです。 問題や困難が続いたりして、私たちの心が折れそうになることがあります。

辛いことや悲しいことが起きて、悲しみに打ちひしがれそうになることがあります。 けれども助け主聖霊は私たちの傍らにおられて、私たちの心が折れることがないように、私たちが悲しみに打ちひしがれることがないように、慰めてくださるお方です。

Ⅱ.助け主聖霊は、必要な助けを与えてくださるお方 文字通り助け主だからです。いつも私たちの傍らにいて必要な助けを与えてくださるお方です。 おととい、運転中、車であおられましたが、神様にお祈りした後、その車が去って行ったので、聖霊が助けてくださった事を覚 えて、神様に感謝したところです。

助け主聖霊は、必要な助けを与えてくださるお方です。

Ⅲ.助け主聖霊は力を与えてくださるお方 使徒1:8「聖霊があなたがたの上に臨むとき、あなたがたは力を受けます。」

助け主聖霊は罪に勝つ力、問題や困難に打ち勝つ力、キリストの良き証人となる力を与えてくださるお方です。 使徒たちは、ペンテコステの出来事を通して、聖霊に満たされました。

彼らはその時、心がきよめられ、罪に勝つ力を得ることができ、迫害にも打ち勝つ力を得ることができ、キリストの良き証し人と して生き抜く力を得ることができました。

私たちの傍らにおられて、慰めてくださり、必要な助けを与えてくださり、力を与えてくださる、このような助け主である聖霊にす べて明け渡して、聖霊と歩調を合わせて歩ませて頂きましょう。

2021 5 2オンライン礼拝  主は心の渇きを癒し休息をお与えになる羊飼い

2021/5/2   説教メモ   詩篇23篇   連続講解説教   「主は私の羊飼い」②

今朝は、特に2節のみことばに心を留めながら三つのことを見ていきます。

「   主は私を緑の牧場に伏させ  いこいのみぎわに伴われます。」2節

①主は私に伴ってくださる羊飼い 羊飼いは杖と鞭をもって、弱くて迷いやすい羊から離れることなく、羊に伴っていました。 ここて使われている「伴う」という言葉は、原文では、「寄り添いながら、優しく導く」という意味があるそうです。決して強制的な、急かすような導きではありません。

まさに真の羊飼いであるイエス様は、いつも私たちに寄り添って、愛をもって優しく導いてくださるお方です。

私たちは日々の歩みの中で、つい、あれやこれやと荷物を抱えてしまい、悩んだり思い煩ったりします。また 様々な困難に直面し、人生の修羅場に直面することもあります。 けれども感謝なことに、どのような困難な問題に直面しても、私たちが押しつぶされることがないようにイエス様は、いつも寄り添ってくださり、優しく導いていてくださるお方である事を忘れてはなりません。

②主は心の飢え渇きを癒すために伴ってくださる羊飼い

「主は私を緑の牧場に伏させ  いこいのみぎわに伴われます。」 羊飼いは、羊を外敵から守りながら、羊に寄り添って、牧草に導き、餌を与えます。そして川のほとりに導いて水を

やります。  羊は、お腹も満たされて、牧草に伏せるそうです。

うちで飼っている猫たちも家の中で、おなかを丸出しにして仰向けに寝ることがあります。警戒心があると絶対、そ のような寝方をすることはありません。

羊も警戒心の強い動物ですから、少しでもストレスがあると起きあがったままで、寝転ぶことはないそうです。  け れども、羊飼いが側にいるので、何のストレスもない安心しきっているときに、初めて寝ころぶそうです。

羊飼いは、羊の必要を満たしてあげ、羊が牧場に寝ころぶことができるほどに休息を与えます。

イエス様も全く同じです。私たちが心に飢え渇きを覚えるときに、心の飢え渇きを癒し、心のストレスを取り除いてく ださるお方です。

今、コロナ禍で多くの人たちの心が渇いています。これから先、日本はどうなるのだろうか? 私たちの生活はどうなるのだろうか?お店はどうなるのだろうか、職場はどうなるのだろうか、 いつまで、コロナウィルスを警戒して生きていかなければならないのだろうか? そのような我慢と忍耐を強いられている中で、せっかくのゴールデンウィークも、家族旅行に行けず、外食もできず、ステイホームを強いられいる状況です。 この状況が続きますと、心は渇き、ストレスは溜まるばかります。

けれどもイエス様は、そのような私たちの心の飢え渇きを癒し、ストレスを取り除いてくださるために、いつも私た ちと伴って、私たちを優しく導いてくださいます。

③主は安らぎを与えてくださるために伴ってくださる羊飼い

「主は私を緑の牧場に伏させ  いこいのみぎわに伴われます。」 羊飼いは羊を牧場に導いて餌をたっぷりと与え、くつろがせ、水を飲ませるために川辺まで導きます。 それと同じように私たちの羊飼いイエス様も、私たちの心の渇きを癒してくださるだけでなく、心の中の不安や恐れを取り除いて、心に休息、安らぎを与えてくださいます。

「    いこいのみぎわに伴われます。」と書いててあるからです。

私たちが今、どのような困難な道のりを歩んでいたとしても、真の羊飼いであるイエス様が私たちといつも伴ってく ださいますので、恐れる必要はありません。真の羊飼いであるイエス様と伴って歩み続けて行きましょう。